「非HSP」という呼称について吉田が思うこと

どうも、吉田光です。

最近めっきりコラムを書くことがなくなっちゃいましたね。
寂しいなぁと思ってきたので書こうかなぁと思います。

いや、言うて書きたいこととか言いたいことなんて山ほどあるんですけど、どうやって世に出すかってのを本格的に考えるようになりました。
ホントにこのご時世、どういうきっかけで火が起きるかわかったもんじゃないですからね。

「非HSP」という呼称について

最近、HSPという言葉がどんどん広がるようになりました。
それ自体は私にとっては喜ばしいことです。
いろんな人が自分について意識が行く良い機会になっているのではないでしょうか。

それに伴った問題はいくつかありますが、それは置いときましょう。

それでSNSやWebで時々見かけるようになったのは「非HSP」という言葉です。
読んで字のごとく、「HSPではない人」のことですね。

もしかしたらこのブログでも使ってるかもしれません…うわっ、使ってたらヤダな。
ついに思い続けてきた、このブログにあるコラムの表現訂正祭りでも、おっぱじめる時が来たな…。

「HSP」を基軸に考えるか「自分」を基軸に考えるか

まぁ、便利な言葉ですよね、「非HSP」って。

HSPに関する活動をすると、「周囲の人間とどう付き合っていくのか」というのはよくテーマとして挙がってきます。

その中で、「HSPではない人」とどう付き合っていくのか、ということで、具体的にHSPとそうでない人とを線引きすることもしばしば起こります。

ということを2年近く経験してきて思うんですけども…。
なんだろうな…個人的にはですが、HSPとそうでない人って、そんなに深い溝があるとは思えないんですよね

私はこう思うからこそ、「非HSP」という言葉は好きになれません。
ちょっと区分けを作ろうとしすぎというか、なんかそう思ってしまいます。

そもそもですが、社会に出ると否が応でもいろんな人と出会うことになります。
私も様々な職場を渡り歩いてきて、本当に数多くの方とお会いしてきましたが、当然っちゃ当然ですけど人によって千差万別です。

まぁ、ある程度のカテゴリ分けをすることはできますけども、HSPであるかどうかという尺度をもって接したことはないですね。それはHSPを知ってからもそうです。

私はHSPであるかどうかよりも、自分と合うかどうかはものすごく見ます。
「合わないかなぁ」と思ったら、何となく距離を取るようにします。その方がお互いのためだと思ってるからです。
私はそれなりにコミュニケーションができる方だと自負してますけど、さすがに100人中100人友達になれるなんて思いあがったことは考えてませんし、そんなの不可能だし無意味だと思ってます。全員が全員同じ距離感で付き合っていくなんて無理です。

「自分と合う人は皆HSPである」なんてことは到底思ってません。私が仲いい人の中にHSPじゃない人もいますし。そういう人たちを「非HSP」と区切るのは…なんか嫌ですね。逆に言うとHSPの人でもめっちゃ仲がいいというわけじゃない人だって当たり前に存在します。私とて「HSPはみんな友達!」はとてもじゃないですけど言えないです。HSPとて千差万別ですから。

だからこそ、人との距離を線引いたり境界線を引いたりすることは非常に大切なことです。それについてはこのブログでもコラムとして掲載してます
でも何もかもを「HSP」という尺度で考えるのは、それはそれでドツボにはまります。

そもそも距離感・線引きについては、HSPであろうとなかろうと共通して大事なことだと思ってます。
人に応じて距離を常日頃測っていくのは、この雑多な人間社会で自分を守るために非常に大事なスキルです。
全員と密接した関係を欲してしまうのは分かりますが、その欲求が強すぎるといろんな事故が起きます(これは私の経験談です)。

「HSP」という属性を与えられて、自分についてその属性から理解を深めていくこと自体を悪いと思ってるわけではありません。ただ「生きづらさの克服」とかそういうことを考えるのであれば、何もかもを「HSP」という尺度で考えるのではなく「自分」という尺度で考えてみた方が良いと思います。

HSPってボヤっとしてるんですよ。自己診断テストも自分の主観判断ですから、自己申告制と変わりがない。
境界線があいまいだからこそ生まれる問題が発生します。
その境界線をはっきりとさせるのはいばらの道です。知識と実証がないとそれは実現できません。

はっきり言うと、私とて「HSP」という概念を切り開いてくれている様々な学者のおこぼれをさずかっている立場です。それを自分の体験と組み合わせて、生き方の参考に何となくなればいいなぁという気持ちで活動しているにすぎないのです。

あくまで私が望むのは「HSPのような周囲に振り回されやすい人が自立する」ことで、そのために「HSPは可能性ある人々である」と謳ってます。
ここでいう自立というのは経済的なことではなく、精神的なことです。

精神的に自立するためには様々なルートがあると思います。
もしかしたら「HSP」ということを突き詰めたら、精神的自立につながるのかもしれません。
ただ「HSP」を基軸に考えるのともう一つに、「自分」を基軸に考えるやり方も存在する、ということも覚えておいて損はないと思います。

HSPかどうかは果たして本当に重要なのか

と、色々と脱線したような気もしますな。
ちょっと最近思ってたことを述べました。

まぁここら辺は難しい塩梅の話です。
良くわからないなぁと思ったら、スルーしていただいても構いません(笑)

でも「非HSP」って言葉にはご注意ください。
HSPの人とそうでない人の溝というのはそこまで大きいものなのか、今一度お考え下さい。

それでは。

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