「自信が無い人が多い」と言われているHSP

どうも吉田です。

※この記事は2018年8月7日に投稿したものです。
2023年10月8日時点で、少々表現や言い回しを修正しております。

自身に過度な要求をする

デンマークの心理療法士イルセ・サンが書いた「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」には、HSPが抱えやすい心の問題の中には「自分自身に高度な要求をしてしまう」、ということを挙げています。

イルセがカウンセリングしたHSPの人たちがどのようなルールを自分に課しているか、その例を挙げています。引用しましょう

・いかなる状況においても、100%ベストを尽くさなくてはならない。いやできることなら120%の力を出し切らなくてはならない
・周りの人に弱みを見せないようにしなくてはならない
・自己中心的であってはならない
・一緒にいる人にいつでも100%注意を向け、楽しませなくてはならない
・ほかの人がいるところで、自分個人のことに気を取られるのは無礼だ
・失敗をしてはならない

私はこれについて読んだとき、「俺のことやん…」と驚きました。特に「失敗をしてはならない」というあたりが。経験則ですが、「失敗してはならない」って思っている奴から大失敗しますぜ。

この「自分自身に高度な要求をしてしまう」に関連したHSPの特徴は、

・自分がどうあるべきか、高い基準を設けている
・自尊心が低いからこそ「優秀」でいようとする
・頑張らないと好かれないと思い込んでいる

「…耳がいてえ」と思った方は私と握手。

他にも、罪悪感を感じやすかったり、恐怖心を感じやすかったり、怒りを放出できなかったり…。

「…耳がいてえ」と思った方は私と握手。

敏感で色々と気づいてしまう=ナノ単位で人のことを気にしすぎてしまう

ぶっちゃけ人のことを気づきすぎちゃうことに、たまに疲れるんですよね…。
そのたびに、「あぁ、俺はナノ単位で人のことを気遣っちゃうんだなぁ…」と、まあ思っちゃいますよねぇ。

しかも、自分が人のことを気遣ってるつもりでも…「独り相撲になってんなぁ」と思うことたくさんありますよねぇ。「俺、から回ってるなあ」みたいな。

「この人、○○って感じてるな…マズい、どうしよう…どうしてあげたらいいんだろうか…」
と思い悩んで、何もできずに終わる。モヤモヤがたまったまま時が流れていくんですな、これが。それを身近にいる人だけではなく、例えば電車で隣にいる人や、ため息ついてすれ違った人や、道路の向かい側で切れてる人、とか…。

いや、わかってるんですよ?考えすぎってのは。だけど、気づいちゃうから、自然と考えちゃうんですよ。

ちらっと見ただけで間違っている部分を発見してしまったり、人の闇に気づいてしまったり。気づくその人にとっては実は、物凄くしんどいことにもなり得ます。

ただ、アドラー心理学にもありますけど「他人の課題を自分の課題として扱ってはならない」んですよ。
いい意味で「よそはよそ、うちはうち」精神を持たないと際限がない。いつの間にか人に振り回されて疲れ果てて、何もかも嫌になるなんてこと、もうよした方がいいです。

ただ、これをポジティブにとらえることは出来ます。
だって、そこまで人と共感ができるなんて凄いじゃないですか。人と深くつながることができるなんて、この情報社会にとっては貴重な人材だと思います。
もちろん、薄っぺらい情報が奔流している中で渡り歩くのは本当にしんどいとは思いますけども、それでも「本質」「真実」を探し求めるのは悪いことではないはずです。

自分のためよりも周囲のために行動してきた

ではなぜ自信が無い人が多いのでしょうか。

さて、ここで私の見解を述べたいと思います。

前述したとおり、HSPというのは色々なことに良くも悪くも気づいてしまいます。その中には、「親の思惑」ということも含まれます。
これから綴る話は、確信こそはないですが、でも自分の中でなんとなくの根拠があるので、お話します。

私は父、母、弟の四人家族です。

父も母も、悪い親ではありません。むしろ、「こんな人に育ったのはいい親御さんなんだろうね」と言われることもあります。

私も、いい親に生まれ育ったなと思います。役者なんて素っ頓狂なことを、否定せずに背中を押してくれたのは本当に嬉しいことです。

ただ、ひとつの事実として私は明確な反抗期がなかった子供でした
※あくまで「明確な」。母曰く「うすーくそういうのはあった」と発言してました。

なぜ反抗期がなかったのかというと、単純に反抗する理由がなかったからです。別に否定されることもなかったし、自分のことを愛してくれないから駄々をこねるなんてこともしなかったんです。

勉強は勝手にやってたので、それについてとやかく言われたこともなかったですね。文句言われない程度に好成績取ってたので。大学受験の時は諸事情により塾に通わせてくれませんでしたが、「じゃあ一人でやるか」と決めて学校で勉強してました。

反抗しない理由をあえてあげるなら、私は先天性の病気を抱えていましたが、それを治すために親がそれなりの出費をしてきたことがあります(一応言っておきますが、命に関わることではなく、現在は問題なく生活しています)。「こんなにしてもらってるのに反抗するって、なに?」みたいな感じでした。

ただそんな家族でも、家族間で軋轢がないように生きてきました。まぁそれはどこの家族も同様だとは思いますが、私にとってはストレスが大きかったですね。家族といるより友達といる方が好きな子でしたから。
家族関係に関するトラウマが、幼少期に両親が大喧嘩したことです(理由は今でも知りませんし知りたくもないですが)。その時は情けないことに弟に泣きついてました(どっちかっていうと弟の方がしっかり屋さん)。

人間関係でギスギスするのは本当に堪らなく嫌です。ギスギスしてるお互いの苛立ちが全て私の中に入ってくるんです。なんで、こっちは二人分の苛立ちが貯まります。当事者じゃないのに。いい迷惑ですよ、ほんとに。

なので、厄介ごとを避けるように、何か自分に行ってくることを避けるように、先読みして先に行動する、っていうことがいつの間にか癖になっていました(これについてはまた書きたいですね…)。まぁそれでも、自分の行いで軋轢が生まれたり厄介にされたりすることは、残念ながらありますけどもね(笑)

学生時代の私は、

  1. 家族の軋轢が生まれないようにうまく立ち回る
  2. 文句を言われない、というか心配されない程度に成績は取り続ける
  3. クラス内のいじめに近い弄りに耐える

ということを何となくやってました。
家族と成績、両方守らなくちゃいけないのが長男の辛いところだな。覚悟は良いか。俺は出来てる。
みたいな感じで。

上記を見ればわかると思うんですけど、いろんなことを自分に課しても結局自分のためではなくて周りのために動いてたんですよね
自分のことよりも自分以外の利益を考えるのが自然と癖になっていたんです。
この癖はやっかいなもので、いつの間にか「自分が主体となって生きる」ということが難しくなります

自分の意見を押し通すことができないと、自分の考えが良い結果を生むかどうかが分からなくなります。そうして、自分の希望を言い出せないと、自分に自信が持てなくなります。ますます周囲に流されるようになります。ますます自分に自信が持てなくなります。

私はこういう悪循環にはまり、自信というのが無くなっていったのです。その悪循環で私は自分の価値を証明できてないと思ってしまったからです。私は私自身の成功体験を積み上げてなかったのです。

という過去を経て、私は自分のしたいことを押し通すよりも全体の利益を考えて行動するのが癖になりました。

まぁ、これだけ書くと別に悪いことではないんですけどね。
それが自信につながるかって言ったらそうではなかったのです。「自分に自信がないままに他者に奉仕する」というのは、依存関係を生みやすいのです。

なので学生時代の私はメンヘラ気質でした(笑)
今は、まぁ、落ち着いてると思いますよ。自分で考えて自分で行動してますから、昔より自信はついてますし。

自分を取り戻す

「自分<全体」を考えること自体は決して悪いことではありませんが、自己をすり減らしてまでやることではないはずです

私は高校に入るまではすぐに疲れてしまい、常に眠気に苛まれていました。

多分、自分なりの防御手段だったのでしょう。起きたら現実が待ってるし、いろんなところに気を遣って疲れてたし。アニメとか漫画の世界を妄想して軽い現実逃避みたいなことをしていた時期もあります。
因みに、私が中学生の時の将来の夢は「サラリーマン」でした。とにかく未来に希望が持てなかったんです。

そんな自分が主体的になり、自信を取り戻し、より創造的になれたきっかけは演劇でした。
高校から演劇をやり始めて、私は文字通り目が覚めたのです。眠気も晴れたんです。それほどに、鮮烈に人生を変えやがったのが演劇というものなのです。一気に創造性が膨らんだのを覚えています。まるでビッグバン。

というわけで、HSPと自認されている方で、周囲に気を遣いすぎていつしか自己をすり減らしている、なんて方いらっしゃいませんか?
そうなってたとしたら、辛いですよ。自分らしく生きるなんてとてもじゃないけど想像すらできないはずです。

このご時世、「自分が主体的に生きる」ということは今後の人生において本当に重要なテーマになってくると私は思っています。

誰かのための人生ではなく、自分のための人生を歩きましょう。

自分を取り戻すためには、勇気を振り絞る必要があります
否が応でも今までの自分を変える必要がありますから。変化というのは大人になっても怖いものですが、一番怖いのは最初の一歩です。一歩踏み出したら割と回ります。

まずは今まで自分に課してきた高い基準を下げてみましょう

もしかして、今ちょっと怖かったですかね。

自分に課してきた過剰な評価基準。これに挑むことでなんとかして自分を保ってきた人もいると思います。「常に成長し続けなければならない」と自分を追い込み、追い込むための理由もかき集めながら生きてきた人にとって、ある意味で死刑宣告です。

確かに、私も自分を追い込みながら生きています。
それは一流の役者になるためです。ですが、私は一度追い込み方を誤って鬱になりかけました。
一時期、私は演技のワークショップに通うのがとても怖くなってしまった時期がありました。でも2020年の今、私はとある演技のWSに通っています。それは勇気を出したからです。

その勇気を出すのに、私は2年かかりました。そんなすぐに踏み込めるほどの恐怖ではなかったなぁと、今となっては思います。
でも私は前に進みました。怖かったけど。いつだって0から1が一番大きな一歩なのです。

一歩踏み出したら、「やるじゃん、俺」と、意外とポジティブに考えることができるようになります。
勿論一朝一夕じゃないですよ。根深いほど時間はかかります。でも、諦めてなければいつか必ずできます。そう自分を信じることが大事です。「自分を信じる」ことが自信ですから。

もう一つ、私が成功体験の糧にしてきたのは、元職場です。
私のかつていた職場はベンチャー企業でして、とにかく新しいことを開拓しないとつぶれる、というようなところです。そこで私は持ちうる想像力をフルに発揮してきました(自分で言ってて若干寒いですけど)。
意外と私の考えるアイディアが採用されたりすることが多々あったので、「自分のアイディアは社会貢献につながる」という実感を持てるようになったのは、とても大きいものでした。

なので、自分を諦めず勇気を持とうとする意志と、自分の考えを公表して他人から評価されること。
つまりは成功体験を積み上げていくことが、自信を持つことにつながっていくと思います。

HSP交流会では、あなたの考えを公表することが成功体験につながるような場にしたいと考えています。
そこから生まれる共感の輪というのは、いつだって私の想像を超えてきました。だからやめらんねぇだなぁ(笑)

大きな行動は小さな行動から始まります。ちょっと勇気をもって、小さな行動から成功体験を積んでみませんか?

今後開かれる交流会はこちらまで。

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