お久しぶりです。吉田光です。
最後に記事を投稿してから、一カ月ぐらいですかね。
仕事を辞めてそれなりに時間が増えました。仕事を辞めて結構生活が変わったので、なんかそれについてもいつか書いていけたらなぁと思います。
さてさて、今回は刺激追求型、HSS(High Sensation Seeking)についてです。
HSSとは
散々HSPとは繊細な人間であるということを説いてきたわけですが、そんなHSPの中にも変わり者がいます。それがHSS、刺激追求型の人間です。
これってどういうことかというと、「刺激に敏感な人の癖に刺激を求めている人」のことを指します。
は?なにそれ?矛盾してるじゃん。
とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。
HSP/HSSの人に取っちゃ、特に矛盾していないんですな、これが。
HSP/HSSの感覚を説明するのによく言われる例えが、
「ブレーキ踏みながらアクセルを踏んでいるような気分」です。
疲れるからブレーキ踏んでるんだけど、アクセルを踏まずにはいられない、そんな感覚。
これ、私は聞いてなるほどと思ったんですけど、よくわからない人は「へぇ…?」って感じになりますよね(笑)
こればっかりは説明しても理解しづらい部分なので、「あぁそういう人がいるんだなぁ」という具合で大丈夫です。
因みにHSS/HSPの方が自身について表現した動画がこちらです。
※掲載の許可をいただいております
あと、HSSも自己診断テストがあります。HSPの自己診断テストみたいなノリでやれます。
さて、そんな人はどういう特徴を持っているのでしょうか。
HSSは好奇心旺盛
まず最初に上げられるのが、好奇心旺盛なところが挙げられます。
とにかく刺激を求めるタイプなので、新しいことには進んで挑戦したりできたり、そんなことが好きだったりします。
初対面な人と話すことが好きだったり、見知らぬ土地に足を踏み入れることも大丈夫だったり、人によってはライブとかDJクラブに行くとかも好きな人もいるでしょう。
因みに私は飽き性も相まって、結構新しいもの好きです。
こうして見ると、「あれ、結構なメリットでは?」とお思いの方は多いと思います。実際、好奇心旺盛で新しいことにチャレンジできるのは、ある意味で今の時代に合っているのかもしれません。
まぁそんなわけでどちらかというと内向的な人よりも社交的な人として見られない人が多いと思います。
言ってしまえば、非HSSのHSPの方より、おそらく非HSPの方に溶け込みやすい体質なんだと思います。
しかし、実はこれが意外と厄介なことがあります。
HSS型は良くも悪くも好奇心が旺盛と認識してください。
悪癖「予定ギチギチ癖」
前述したとおり、新しいことに挑戦するなど刺激的なことを好んではいても、HSPよろしく刺激には敏感なのでしっかり疲れるんです。
しかも疲れている状態なのにかかわらず、休息よりも用事を優先してしまうというパターンも珍しくありません。
HSP/HSSの人のスケジュールの典型的な特徴が「予定がギチギチで休息の時間が少ない」という点です。「休息するよりも用事で発散した方が気持ちいい!」と考えているHSS型の人は少なくないんじゃないかなと思います。
この予定ギチギチ癖は私にもありました。
もうとにかく予定を入れまくり、あたかも「俺、忙しいんだよね」とあたかもリアル充実してますムーブをしていた時期がありました。時期で言うと大学生あたりで。
一番マズいのは「疲れを疲れと認識していなくて行動してしまう」という癖です。ちょっと極端物言いですが、予定ギチギチ癖を持っている人にとっては他人事ではありません。本当、マジで気を付けてほしい。
はっきり言うと一番危険な状態です。刺激を受けすぎて自分の状態を認識するのをおろそかになってしまい、疲れすら感じないぐらいに自分の感覚が麻痺しているような感覚。
断言しますが、何かしらの形で事故を起こします。
「大丈夫大丈夫!」と言って、実は限界を迎えている体に鞭打って動かそうとすると、そりゃ怪我に繋がりますわな。
HSSは突き詰めるとそんな危険性を孕んでいます。
ただでさえHSPは外的・内的刺激を受け取りやすく、自分のことを後回しにする特徴があるのに、度重なる用事で更に自分のことを後回しせざるを得ない状況にしてしまうと、ますます自分のことに気が付けなくなってしまいます。
HSSでも結局HSPなので、刺激を求めてはいるが、結局敏感で疲れやすく、普通の人にはないところに気が付いて思っている以上に周りに気を遣ってしまうことには変わりありません。
悪癖「二面性」
また、HSS型はその社交的な面を出しすぎても、自分の首を絞める要因になります。
はっきり言って、社交的な場って楽しいけど疲れるんですよ(笑)
社交的な場に溶け込めるHSS型ですが、しっかり疲れます。
しかも社交的な面を出し続けると、繊細な面が出しづらくなります。社交的な場で繊細な、内向的な面を出してしまうと孤立する恐れがある。
そうなると、社交的な自分と繊細な自分の距離がますます遠くなります。
・疲れを知らない自分
・見知らぬ人とでも社交的に明るくふるまう自分
・周りのテンションに合わせられる自分
そんな自分ばっかり見てしまうと、本当は隠し持っている繊細で敏感な自分に気が付きにくくなります。そうなると必然的に、自己肯定感を上げることが難しくなる。
社交的な環境にいるのが悪いというつもりはありませんが、自分をケアし、繊細で敏感な面を出しても大丈夫な環境を持っておいた方がいいでしょう。
え?そんなとこあるのかって?
おいおいおい、なぁにいってん、HSP Diaryがあるでしょうに(笑)
是非ウチに来てくれ(笑)
そのためのHSP交流会なんだ(笑)
休め
そんなHSS型の人に向ける言葉はただ一つ
休め
これにつきます。
いや、マジで休んでください。
予定入れすぎずに休む時間を作ってください。
「呪いかのように予定を入れてしまうんですよ~」
休んで
「ついつい休むのをおろそかにしてしまって…」
休んで
「えっと、あの」
休んで
いや、簡単な話なはずです。
ただ休めばいいので。一日中ゴロゴロする日を設けましょうってだけの話です。
「忙しいから休めない」
という人もいるでしょう。まぁ気持ちは分かりますよ。私もそんなことを言っていた時期ありますし。どうしても休む日を設けるのがキツイ時期というのは存在します。
ただそんな忙しい中でも、休んで自分を整える時間と環境を創ることは絶対に必要です。
「ただただ休めない」
これはかなりマズい状態です。事故ります。
そもそも考えてほしいのが、「なぜ忙しくしてしまう」のでしょうか。
別に誰に言われたわけでもない場合が多いように思えるのです。
演技力に飢えていた時期
かつての私を例に挙げてみましょう。
私は将来役者で飯を食っていくことを常に考えて生活しています。役者で食っていくためには、「然るべき環境」と「確たる技術」が必要になっていきます。
この二つのうち優先しがちなのが「確たる技術」、俗にいう演技力というやつです。
私の18歳から24歳までの6年間は、それを向上するために費やしてきたといっても過言ではないでしょう。もうとにかく稽古しまくり、ワークショップに通いまくり、舞台立ちまくりの生活。演技力が上がると思ったところには積極的に足を運びました。
毎日がヘトヘトでした。それでも、
まだ演技で食えていない=演技力が足りていない
という風に考えていたので、飢えた獣のように積極的でした。だってそれで食えないと死が待っていましたからね。
そんな生活を送っていたので、当時はいろんな人から「目がギラギラしている」と言われてました。
つまり、生き急いでいたんです。
まぁおかげで、今ではそれなりに自信が持てるようになったので、全部が全部悪いってわけでは当然ありません。
ただ、表現の世界においては、ただの生き急ぎ小僧では到達できない領域がありました。
自分の赴くがまま、感じるがままに、「其処にただ居る」という感覚。
演技とは「嘘をつく」ことではなく「嘘の世界で嘘偽りなく居る」ことが本質なのです。つまり演技をする人に必要な技術とは「自分を飾る」ことではなく「自分を剥いて素をさらけ出す」ことなのです。
言葉で言うのは簡単ですが、社会生活なんて嘘だらけなので、嘘をつかないことがどれだけ難しいことか。
まぁ専門的な話なので詳細は省きますが、予定を詰め込みまくっていてもその領域にはたどり着きませんでした。
理由は簡単。予定詰め込みすぎて、自分を振り返る時間を全く用意してなかったからです。
自分を振り返るのが怖かったから、振り返らずに走っていたってのもありますけどね。今思えば若かったなと思います。若いからこそ、足がちぎれるまで走っても、大きな怪我にならなかったと思っています。
ただ、やっぱり心身を追い込んでいたのは間違いなく、キツイ時期でした。
そんな過去があったので、HSPであると自覚してまず私がやったことは休息でした。予定に空き時間を作ること、オフの一日を家で過ごすようにする、というように引きこもる生活を送るようにしたのです。
試しに1週間、仕事以外の予定を入れないということもしてみました。
それがかなり大きかったかな。
あんまり休み方を知らない方の人間だったのですが、なんとなく休み方を知れた気がします。
私の場合はアニメですね。疲れたときはアニメとか漫画読んでます。二次元って優しいんですよ…。
なぜ休むのをためらうのか
というわけで、休むのを憚ってしまうHSSの方は、「なぜ休むことを許容できないのか」を考えてみてください。
フォロワー減ったり「いいね」の数が減ってもいいから、休んでください。
しっかり休めないとホント死にますからね。
休んでくださいよ。休まないと自分を受け入れられなくなっちゃうんで。